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純粋理性。

日記

2005-12-20



私は、私とは異なる意見が大好きです。
討論なんかは本当に大好物なのですが、一つ問題があります。
それは、私は私の土俵では絶対に戦わないということ。

状況にもよるけれど、できるだけ自分の主張は隠しておく。
そして、相手の論理展開をそのまま使って相手の主張の土台のみに絞って攻めていく。
そうすると面白いように勝てます。
ってか、勝てない方がおかしいんですけどね。
所謂”卑怯な手”なんですけど、戦略的ではなく無意識にやるからどうしようもない。

――というように、討論等になると、意見を意見として楽しめません。
「勝てる」とか言ってるように、ゲーム感覚なんですよね。
さて、どうしたものか、と考えると、道は一つしかない。
自分の意見を、反対意見に変えてしまう、というやつです。

例えば、精神と身体は対立するもの、という私の考え。
これを「精神と身体は同じもの」というように変えてみます。
そしたら、ゲーム感覚が起動することなく、反対意見を楽しめます。

…しかし、この「精神と身体は同じもの」は、考えていておもしろかったです。
精神(理性)と身体(自然とか動物とか)が相対する存在、
というのは、もう哲学で言えば常識中の常識です。
これをひっくり返す、なんてことは考えてもみませんでした。
だから、おもしろい。

生物(精神)っていうのは、種族保存が最優先使命です。
種族を絶やさないように「進化」するわけですが、
環境適応能力その他を欠いた存在は、容赦なく消されていきます。

ここで、現代社会を見てみると、少子高齢化が話題となってまして、
今は先進国間だけですけど、結構な種族保存問題に直面してるわけです。
で、その種族保存問題に積極投入されてるのが科学。
理性は科学を生み出し、その科学は自然と対峙する形で発展してきて、
近頃は種族保存に役立とうとしている。

そうすると人間(理性)というのは、
種族保存という自然のルールに従順な存在なんじゃないかな、と。
つまり、自然は種族保存を人間という生物に課すわけですけど、
人間(理性)は科学(純粋な理性)を使ってそれに抗うのではなく、
それに従う形で生きている、ということになります。

じゃあ、精神(理性)も身体(自然)も同じものじゃないか、と。
理性は自らの生命を何とか先に延ばそうって頑張ってるだけで、
対立なんかしていない。
むしろ重要なのは、身体(自然)の中で精神はいいように踊らされてるってことです。
それが良いか悪いかは別として、さらに、これ以上の論理展開は私には不可能なので、
身体と精神が対立する話まで引き戻すと、結局、現代でも理性は精神に勝ててはいない。
精神の中に身体(自然)があるのではなく、
身体(自然)の中に精神は宿っているのですから、当たり前といえば当たり前ですけど。

だから、勝てるとすれば、たぶん、
身体と切り離された存在になった時のみ、だと思います。
それも、土俵がないと勝負にならないので、死後の世界とか別次元の理性集合体じゃダメ。
自然とともになければ話にならないということで、それなら、幽霊しかないかなー。
幽霊ってもしかして、科学よりもより純粋かつ完璧な理性なのかもしれません。
ゾンビはダメだな。アレはどちらかと言わないまでも、純粋な身体(つまり生物)って感じだし。

っていうのが、反対意見を楽しむ課程で私が考えた通りのことですけど、
まさか幽霊っていう単語が上記の課程で出てくるとは思わず、
そんな意味で、楽しんだのでした。
(途中、論理の飛躍、独自理論のオンパレードですが…)
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