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自由ってどういう状態かな、と思う。
もちろん、一般的には精神的な拘束から解放されることなんでしょう。
でも、それは身体的拘束からの解放と同じく際限がない。
つまり、終わりがない。

そこで、自由とは不自由を欲する状態かと思ったのですが、
そうすると自由は不自由であること、になってしまう。
不自由から脱した状態が自由なら、この自由は自由ではなく不自由です。
だったら、100%自由な状態というのは事実上あり得ないことになります。

潜在的に、人間は不自由を欲しがる生き物なのかもしれない。
逆に、人間が自由を欲する存在であれば、
身体という限りなく不自由な物体にいつまでも宿っているわけがありません。
その理由は、不自由であることが人間にとって必要だからじゃないかな、と。

考えてみると、人間は体内に不自由さを求めるあらゆるものを持っています。
もっとも分かり易いのは、”欲”です。
性欲、食欲、睡眠欲、という三大欲求など、
単独で”渇望できる”システムがいくつもあります。

そう考えると、生きるというのは、
不自由な状態から決して完璧でない自由を求め続けること、なのかな、と。
よって、自由とは、不自由さに満ちあふれた状態、ということなのでしょう。
不自由など何一つない状況よりも、
手を伸ばせば不自由さが解消され”快感”を求められる状況、
それこそ、完璧に自由である状況だと、私は思いました。

さて、私にとっての自由とは。
一言でいうと、欠乏からの自由です。
だから、私が欠乏している限り全力で生を全うできるというわけで、
何かしら新しい欠乏を生み出すために、日々生活してるのかもしれません。
現に、絵を描くのも、そういうところからきてるのかな、と。
絵を描いても描いても満足できない。
だったらやめればいいんですけど、どういうわけかやめられない。
私の生にとって、自分の絵で満足できないことっていうのは、案外重要なのかもしれません。
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